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10月24、25日(親子関係の方)

余儀なく殺されている人がどれぐらいいるのかな、と昨日は思った。

沈没するとわかっている船から、自分だけはまず逃れようと決意するのに色んな人から後押しをもらいました。私は助かりたくて、その方法をずっと探していました。
でも何をやってもほんとにだめだった。当たれば当たるほど、私は助からないんだから諦めろ。と言われているみたいでしたが、最後に立ち上がったのは自分でした。
私は命が惜しかったんだ、と自分で思った。

夜逃げみたいに引っ越して、財布とiPhoneと充電器、あと布団!という友達からのメールだけを頼りに、
真っ暗で、混乱して、自分で決めたんでしょ!と泣きながらカップ麺を食べ、それがなくなるころにようやく米を炊けるようになってきました。焦りも抑えて、一つ、一つやるしか、と

荷物なんかもうどうでもいいからとにかくそこを出な。と最後に電話をした人には言われました。お母さんのこととか、心配とか、もう、自分だけは助からないと・・

と言われたけどそんな美しそうな感情じゃなくて、
そんな船でも離れたくないという気持ちが私にはありました。でもここにいたら私は確実に死ぬとも思った。

行き先を尋ねられて私は身の危険を感じました。自分なりに礼儀は通しましたが場所は濁しました。嫌いとか好きとかの問題じゃもうない恐怖と、そんな風に感じてしまうことの申し訳なさと、怒りと、さみしさと全部がぐじゃぐじゃになりながら、たった今閉まってしまったドアを見て、
母親のスリッパの音が遠ざかっていくのを聞きながら、もういい歳で、
こんな話は情けなくて、誰にもできないと一人で泣きました。
私の調子は良いのか悪いのかわかりませんが、
母に会うと必ずイライラして、さみしいのに、悲しくなります。

笑いと絶望と困惑がいつも同時に、来ていたのは子どものころからかもしれません

悪い連想が広がるのも早くて、そのスピードも、広さも、深さも自分で計り知れない。ただこれは制御可能なことのうちに入るとは思います。
すごく悪い気分で、すごい嫌だけど、仕事も行くしかない
人を操ることはできませんが、本来は自分ですら、コントロールなんかできやしないんだと私は思う。でも工夫できることはあると思います。

相模原の事件の話もされましたが、私には何かを言う権利も価値も無いと兄に言われたことを久しぶりに思い出し、私もずっと聞いて育ってきた父が毎日言ってる文句(内容は割愛します)にやる気を削がれる話を聞いて、馬鹿はいつまで経っても馬鹿だね。そんなもん大した地位でもないしやめればただの人間だよ。と私は言った。気持ちがわかる人のほうがいいに決まってる。

私はマトモに稼げないし身体も不安があるけど私に面倒をみてもらいたい、という話になり、
気持ちはわかるけど、私の身にもなってくれよ、と思う。母の言ってることは全部いつでもひっくり返すことも可能で、一つのことを、貫き通すこともできない。でもみんな、それぐらいには弱いものだと私は思っています。
私はシングルマザーで頑張ってる子を幾人か知っていますが、どうして私たちを守るために、離婚してくれなかったのかと思ったこともあります。

私が死んで、安心するのは家族かもしれません。こう思うことは、つらいことですが統御不能だと思います。

私は地道な人をいつも尊敬します。社会的立場に関係なく、その地道さに憧れることがよくありました。私自身は派手さのないこと、夢の持てないことを続けることが苦手で、都度都度、つまづきやすいほうだと思います。

最近気付いたことですが、生き続けるならやり続けるという選択以外にはありません。それも夢や希望に溢れてばかりの続きではありません。でもみんなに色々教えてもらって、私は色々得ています。
理想なんか捨てたほうがいいとか、逆に、諦めるのは簡単だと叱咤激励する人が周りにいるかもしれませんが、

できないと決めることほど苦しいこともありません。今日も仕事には行きましたが、行けてよかった。一つずつでも、ちょっとずつでも、できることしかない。生きれば挽回はできます。
あとは地道にやること。自分が続けれることが大事。

血が繋がらないほうが、家族はうまくいくんじゃないかと私はずっと思ってました。
母親を嫌いになれません。総合的に見て、可愛いところがある魅力的な人物であるからです。そしてこういう私も全く完璧に程遠い、ただの弱い人間です

世の中には色々な答え風のことが出回るわけですが、今のところの、私の思うところです。

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©midori kobayashi p rogrammed. ‐