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12月6日 ’いい人だと思われたい’

私がブログやインスタグラムを始めてすぐに、その構想を実現させるため、お願いをしに行ったことがあります。
行った先の方に一部を説明していて、それは素敵な活動だね、と言われました。ちなみにまだその一部も実現はしていません。
私はその活動には利益が出ない。と説明しました
でも協力してくれた人には、私の気持ち的に、何か良いことがあって欲しい、と思って、会社名を載せようかと思う、と提案すると
良い活動だと思うけど・・と言いづらそうにしながら、
そのやり方ではこの先、あなたはきっと苦しくなるときが来る。と逆に話に水を差してくれました。
私はそのときに、この話を持ち掛けるときは、ただ人として、気持ちで参加してもらうように自分の中で決めました。

せっかくこんな話があったのに、私は自分のスタイルを殆ど変えられないまま、今日まで来てしまい
そのせいで、私は自分の気が付いたことにも目をつむることになってしまいそうです
そんな話に興味がない人が殆どだと思うし、
ブログの修復もまだ途中だけど、記録として、これは自分が書きます。

私は自分は正しいことをしていると思っていると思います。悪いところはもちろん、すごく沢山あるんだけど、基本的に、自分はいい人だと思ってる
でもそれはきっとみんなも同じ。正しさとは、人によって違います。
私は’正しさ’で追及されたとき用に、
正しさで対抗しようとすると、いつなんどきも、寸分違わず正しくいなければならなくなり
そんなことをしていたら正しさと、生きることを両立できなくなって、追い詰められたことが過去にもありました
私は嘘をつきたくないとずっと思ってるけど、そんなにいつも正しくいられないのは、
正しさが人によって違うのと、私が’自分の思う’正しさを、通せないときもあります

些細な不正も許さないというトラブルに気づいても、変えることは難しいですが、
仲良くしていた子が死んだ知らせを受けたときのことを思い出すと、ほんとにバカだねと、
私は誰も正しくないとそのとき思いました。
正しくなんかいることよりも、その子が生きて、笑っていてくれたほうが私はよっぽどよかったと思って
なにがどうあってもそうだ。と思ったことを覚えています
正しいことは、そんなに重要なことじゃない
私はあいまいなことがすごく、苦手だけど、
パキパキと簡単に割り切れるような論理で人間は成り立っていません。
だから何もかもをハッキリと、つまびらかにしようとするような生き方で私は、
私も、自分の正しさを追求することで、誰かの息をできなくさせるかもしれません

今日は首のMRIを取りに、大きな病院へ行ってきました
リハビリテーションに力を入れている施設で、広大な敷地内で、おばあちゃんや身体が不自由になっている人の横にスタッフが付き添い、一緒に歩いている姿に何回も、すれ違いました
良い仕事だね。と私は隣の母親に言いました、人の助けになるっていうか。
MRIは疲れて寝ていました。私が好きで見ていたチームバチスタの栄光を思い出しながら寝ていて、複雑な夢を見ていた
冬の夕がた前の、なにもなくなる空のなかを、母親と、車を運転しながら帰って来ました。死んだらなんにもなくなる
私は苦しくて、なんにもなくなりたかったんだろうか

大変さがわかるから、私は福祉の仕事は出来ないとずっと思っていました。特に精神系は、私は気持ちがわかるから、です。
私はお金を取らないんじゃなくて、
私はお金を取れないんだと、ずっと気づいていました。自分が、苦手だったから、どうしても上からhowtoも書けない。それは私のこれまでを生きてきた、からこその弱さだと思います

私がやろうとしていることが、どう転んで行くのか、
私にもわからないけど、私がやってみようと決めたのは、自分の気が付いたことをやろうとしたとき
やりたいことがあるなら、ここにいちゃだめだとわかったからです。
昨日は、私一人が気づいたことなんて、そもそも大したことでもないしと思い、やめようかな・・とは何回かもう思っていて、
でもそうやって一人一人が目をつむったら、その問題はどうなるのか?と思った

私は先日、生んでくれてありがとうとたぶん生まれて初めて、母に言いました
ずっと、何億積まれても許されない、取り返しのつかないことをしてくれたと私は思っていました。
なにも変わってはいない日常です、不思議なものです
でもあのとき死んでしまっていたら、これも絶対に見れなかった日常です。

色んな仕事をしてきて、ピアノでも、豆乳でも、私はみんなに、’いい人’と思われたまま、売り上げてきました。
でも今、私はいい人と思ってもらったままでは、
いられなくなると思います。私はそれが怖いんだと、自分で気づいていました。でも、それでもこんなわずかな期間でも、自分の信念のために、自分の信念を幾つか曲げてきました。
このブログを見てくれてる方が、どれぐらいいるか、わかりませんが
私は今しか書けないことを、できる限りブログでは書いていって、
それでも一人でできない人に、真剣で、気持ちがある人にサービスとして、何かを提供することになったときには、
私がいたのと同じ暗闇にいる誰かに、
自分だけの光を持ってもらえるように、自分の最善をもって、協力したいと思います。私にできることは、まずはそこからです。
自分の意思を固めるのに、これだけ長い日記になりましたが、読んでくださった方はありがとうございました。

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©midori kobayashi p rogrammed. ‐