’運命の人’というのは、自分でその人を運命の人にするものである。

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6月30日

男女でもそうだと思いますが、
自分が運命の人にできるだけのことがなければ、誰かを運命の人にすることはできません

逆もまたそうで、誰でも運命の人にすることも可能です。


私もこの世の終わりだった期間には、全く現実的でない怪しい占いのサイトで、これは・・と気付いてからも、話し相手がいなかったので、
おそらくバイトの若い女子、男子を占い師にもはや見立てて、日常に関する寝起きのことなども
一回何千円もするメールを、お金もないのに良心的に使っていたことがあります。で必ず出てくるセリフだったのが、’それが運命の人です’

あまりにも言われるので、運命の人一体何回現れるんだと。
もしかして私が、その人を、運命の人にするということですか?

というのは私の質問で、この返答はありませんでしたが・・


たまたまその頃私の診断名は躁うつで、
同じく躁うつの方で、お忙しいのに結構長い時間、話に付き合ってくださった方がいて
彼は結婚されてお子さんもいらっしゃるんですが、俺は選んでない、という話をされてて(そもそも奥さんを)
まあ、実際には、奥さまもとても良い方だろうし、選んでないことは、ないと思いますが、
わかる!それだ!と思ったのを今でも、新鮮に覚えています。

当時やっぱり私には誰もいなくて、
たまたま知り合った子を、私は運命の人にすることにしました(そのとき、自分で気付いてたかはわかりませんが)




それは友達なんですが、全然年下だし、人間的にできてる必要もなくて(ごめんw)
そんなことはどうだっていいことで、
要は自分が、この子の言うことはもう聞こう、的に思ったんですよね。
もちろんカウンセラーでもない、経験だってもしかしたら私より浅い、おまえになにがわかるんだよと私が言ってしまえば、それまでの相手です。
でもそうするとその子は本当に、私の運命の人になっていきました。私は引っ越しをしたことがありましたがその前後から、どれだけ助けられてきたかわかりません
勘違いや誤解があってもすべてわかろうと思わないし、
趣味や嗜好も若干ちがうところもあるけど、べつに気にならない
根底で嫌いだという人なら、できなかったかもしれませんが、こちらもそう思って付き合っているから、大きく外れることもない



私はこれをずっと思って来ていたのに
やっぱりそうだな、と対人面で、いま思っています。
本当は運命の人に会っているのに
そばにいるのに
その人に気持ちがあるとしても、
私が運命の人にしなければ、運命の人には誰もならない


相手を操作しようとは思わないけど、
話してみないとわからない、フラットな気持ちでね
それを運命にしたければ、運命にはなるということで、
それを運命にするのだと思います、やっぱり自分が。

成果から、という焦燥感の人に向けた記事をまえに、たしか書きましたが
なにをやるか、出来たかよりも、誰といるか、どうしたかのほうが大事
誰かと会って、話して、笑ったり、
疲れて休んだり、こうしようかなーと思ったり、そうやって連携してできて行くのが結果の未来。
わからない結果を追うのではなく、それ自体がもう結果になるということです。

ここから、私事ですが
身体の自由がほんとに利かなくなって、ほんとに休憩に入ることにやっとしました。



種明かし的になってしまいますが私が、最初に決めていたことは、’障害者枠’ではやらない、ということです。同情される必要はない、良いものであればいいと思った
だから突っ張った状態の中で自分を保って、書いていた気がします
自分らしい発信になって来てしまったときにも、迷うことはいっぱいあって、同じ変わらぬ私なら、
障害者と語ってするのと、どちらが社会的には良いんだろう、とか

でも障害者ってなにか
病気とはどういうことか
社会はどうなっているのか
私がやる意味はあるのか
私も色々考えさせられましたが、障害かどうかはやっぱりあんまり、関係ないと思います。個人、個人が、べつの生き物である、ということで。


障害のない人が、私は病気なので、と言われた場合も、その人をいっぱしにしようと思うなら育てる人は、それを平均的な目でそれでも見れなければいけません。偏見も、逆の偏見?も、持たずに
そう扱ってもらっていたら、出来なかったこともあったかもしれません。

運命は自分で、自分の意思で作っていくものです。
私はそう思います。万全じゃない状態で、色々悪くなりながらやってましたが、
私の身の上にも色々あって、すべて今がもう結果だと、前向きに休めると思います


かげながら心配してくださってた方がいましたら、本当にありがとうございました
最後に中間報告的に言いますが私は障害者です。
それは私には、ハンデだと思います。
私から見えている社会では、まだ、ハンデのある人は間違いなく、暮らしづらいと思います。

どうして普通に生きられないのか
普通に生きるとはどういうことなのか、
なぜそれが認められないのか、すべての答えがやっぱりまだ出せていない状態ですが、

どうしてこんなに息苦しいのか
なにに封じ込められているのかといえば、それを許さない社会が、自分自身にも、寛容でなくなっているということかな、と今のところ思っています


書きたいことがいっぱいあったけど、私はとりあえず休みます。
私の心配をよそに、苦戦している人がラクな方向へいきますように
長い手紙のようになりましたが
少なくとも、このページを見かけた人にはそういう社会の中で、自分の望む運命を、いっしょにいたい人と、生きられますように私も、応援しています。







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