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ヘルプ・マークを身に着けた話し11-1- 21

私たちは'病気’に守られ、

病気に、支配されて行きます。

トラブルの関係で活動を閉じ、すっかり、記録が遅れてしまいました。ホムペも改変中の出来事だったので、行間も(過去記事も)すべて失くなってしまったまんまで、かなり書きにくくてしょうがないのですが、文章を読む、という点では、行間の無いページもそれらしいかなとはおもいます。

pcから書くのも、どれぐらいぶり・・.。o○?

 

主治医の話だと、ヘルプ・マーク(を知ってるかな?赤い札みたいなやつね、カバンとかに付ける。)が欲しいと思う精神障害者は多いようです、私も、例に漏れず市からいただいたのはたぶん、数年前なのですが、かばんに付けることが出来ないまま、何かあったら、出そう(?)と思って、かばんの’中に’、隠して持っていました

精神障害のひとに限った話しではないのですが、自分の痛みを解るのは自分だけです。

世の中で、悪い目に遭って来た方は、なんにも知らないくせに、と思うこともあると思いますが、他人が、自分の痛みをわかるとか、ましてや肩代わりする、などという事は無く、経験の引き出しの多い方や、近い方が、想像しやすいかも知れない、というぐらい。

私は(いまのところ、)そう思いますが、まずそれを伝えておこうかな。

 

私がヘルプ・マークが欲しかったのに、なかなか付けれなかったのには、そして付けるようになったのには様々な要因がきっとあって、すべてをここに解き明かすことはいま、出来ないと思いますがチラっと思ったのは、俗に言うカミング・アウトに似てるのかな、と私はおもいました

最初は(全員、)’ふつう’の人だった私たちが、

病気になり

’病気’に守られ、それに支配されて行くまで、私たち(社会)は、皆んな、おんなじ世界に生きていたはずです

目に見えない事でも知られる精神障害の人たちが、皆んなと、おなじ世界に生きながら、あるいは入、退院等を繰り返しながら'トクベツ’になるまで、私たちは病気に守られることと引き換えに、沢山の当たり前の普通(可能性)を失う事になります

事故で足をたとえば失くした方が、自分の、足で、走れなくなる、等は、物理的に避けられない事ですが、精神障害の人たちの’出来ない’のなかに、どれほどの心理的な、枷(かせ)によるものが含まれているでしょうか。同じ世界に生き、同じような見た目をして、’私は違う’と、こころの中で思っているのは他でもない本人。

 

カミング・アウトのコツを、ちょっと、今考えてみます。

たとえば’精神病’には、いまでも、様々な謂れのないイメージがつきまといますので、&、実際に、大して正直に言ったうちに入らない事が多いから、’病名’を言う必要は無いかな。(ヘルプ・マークに’病名’は書かれていません)

自分には特別に、出来ない事があるとか、じぶんを知ってもらう、’自分’の特徴を、伝える、というのが良い感じがします。そう思うと、ヘルプ・マークは適切なかんじしますね。「ナニ病❓」と聞いてくるひとはまず、居ませんし、’なんらかの出来ない事がある’という状態が伝わるからね

もちろん親しければ、または親しくなれば、どういうコトなの❓とおもう人は出てきますが、

そういった、個人、に興味を持つ距離感で、今更何かを言ってもそうなんだ、大変だったんだね、と思うひとが多いんじゃないかな。

 

病気’に頼る’気持ちは、そのまま劣等感となるような気がします

病気ではなく私

と思えるように、日々の彩りを楽しみ、自分の好きなこと、苦手なこと、自分を知って行くことで、外にも、自分にも、じぶんになれるのかなーといまは締めて(しめて)おきます。

 

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