確証バイアス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/27 13:55 UTC 版)
確証バイアス(かくしょうバイアス、英: Confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。
私は小さい頃から平和主義ですが、みんなはどうでしょうか
みんなと仲良くしましょうと、いうことで
好き嫌いなく、自分の身体が拒絶するものもまんべんなく、食べているでしょうか
そんなに平等でいる必要があるのか?ってことですが、
みんなと仲良くしましょうというのも
攻撃しなければいいだけの話で、幸せを願わない人を、そばに置いておくことは危険です
幸せを願えないのは愛ではなくて支配です。自分もそういう人からは離れたほうがいい
これも不思議現象の一つなんですが心を無理に広く持とうとすると、自分が狭くなる
これは私の性格もあるかもしれませんが割りと誰にでも均一に、平等に、全部の意見に耳を傾け、耳の痛いことを言ってくれる人は貴重だからと大事にし、
尊重する傾向があったような気がします。ダメ出しのほうの意見を取り入れるということです
確証バイアスというのは、調べると’誰もが持っている危険な傾向’ということで出てくる単語で、
都合の良い事実しか見ない心理ということなんですが
私がそれを知ったのはすごく遅くて、気になりだしたのは去年ぐらいだったと思います
意図的に確証バイアスしようと、逆の自分に都合の良い情報ばかり集めてみたらどうだろうと思い始めたころです。
厳しいことや、言いにくいことを言ってくれる人を大事にして
そっちの意見を評価して自分の中で飲み込み切れなくなることは、
公平でいようとし過ぎて公平じゃなくなっていますよね
もうすこしさかのぼって、私が苦しくなっていたのは、バラバラな意見を持つ世の中の全ての人に対し、でもあの人はこう言ってるとかを言っていたら、全員に応えることが難しいということを実感していました
私は子どもの頃から自分が客観的に全体を見ることに苦しんでいて、
かたよってはいけないと思っていて
嫌いなものを好きにはなかなかなれない
好き嫌いする子に何でも食べさせるという教育も、変わってきているという話を実際に聞きます。
拒否してるものを無理矢理に入れるってその体にとっては、実際はどうなんでしょうか、身体って、じつは人それぞれ、状況によっても違うものですよね
均一化できるものでもない。科学的には検証できない受け付けない何かってあって、
好きとか嫌いって、その人を守るための重要なセンサーで、それをねじまげようとするから体のほうも反発する
なんか好きっていうのは’自分’が知らせてくれるサインで、自分にはそれが良いんでしょう
わからない人にわからせようというのも難しくて、
自分でいてはだめだというメッセージを感じる人とか、
何をやっても通用しない相手を振り向かせるのはやめて
幸せを願えない相手にそもそも自分は、愛を持ってないんだと思う
そうしてみるとすごく平和になって、相手を違う目で見られる
自分がラクになるんですよね
分け隔てある本能に従う。好き嫌いは嗅ぎ分けてる自分にとって、大事な能力なんじゃないかと最近思います
色んな人がいるから世界なんであって
色んな人がいるから、色んな人用に、色んな人が必要なんだと私はずっと思っています。
という、こんなに的を絞らない内容なんですが、
もともと一人でも奇跡的と思ってるのですが勇者が一人増えて
私はほんとに嬉しいです。その気持ちに応えたいと私は思い
私死ねないなって、どっちが支えられてるのか・・
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