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11月18日

自分が幸せでなくなってまで、それをやる意味があるでしょうか。
と私は思う

自分が幸せになっても、不幸になっても、誰も関係ないし
みんなただ自分の人生を生きてるだけで、
その責任を取っていようがいまいが、私にも関係ないことです。
だから自分のことを考えたほうがいいんだと思う。
仮に私が自分を犠牲にしてまで、何かを必死にやって
思い浮かぶのは、それを心配してくれる人の顔だけです。

そうまでしてでも、やってくれ!と言ってる人がいますか?

自分がどんどん疲れて、力をなくしていく姿を喜ぶような人なら、
そう感じる人とは、今は相性が悪い

自分の人生には、自分がいつもちゃんとそこにいて、
そこに参加してくれる人があって、
そうやってできあがっていくものだと思います。
1人になることは怖いことです。私も怖い。でも何にしがみついて苦しくなっても、そもそも誰も関係ないんです。

ちゃんと一人になって、静かに、全部を止めて、
私は私と話をしてみたい。苦しいとき私はずっとそう思っていました。
何もかもわからなくなったら、自分を絶対に取り戻してほしい。

私が、気付いていてもやめれなかったことは幾つもあって思い出したので、一つ書いておこうと思います。
この自分を打ち消して、何かをやって良い自分になろうといつもしていたけど、それは向上心でも野心でもなく劣等感です。
何かをやるなら、今ある自分に、プラスアルファで、という感覚であること
誰も取らずにまず、自分を取る。その隣に、必ず存在している誰かを見つけられるかどうかは自分次第です。

本当は自分が犠牲になっても誰の得でもなく、
悪い循環も良いときと同じように、連鎖してほんとに広がっていってしまうから

無理して良いことをしているつもりでも、それがみんなにとって最悪の結果を呼びます。
だから私は自分の気持ちを今日も確かめながら、行きたいと思う

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©midori kobayashi p rogrammed. ‐