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はじめまして。

私にできることは何なのかとずっと考えていて、とりあえず日記のようなものを書いていこうかなと思い立ち、これを書いています。
未完成で試作品みたいな酷いブログですが、思いついたときにアップしていこうと思います。途中、削除したり色々追加もあると思いますがよろしくお願いします。

10月18日、2016
私は困っている子どもでした。
だから、そういう子の力になりたいとずっと思ってきました。
私なりに様々な場面で、色んな子に接したりしてきて今感じることは、
お子さんは本当に宝物で、遥かに私の上を行っていると思わされることも多々あり、十分、難しい分野だということです。でも’困っている’子は大なり小なりたくさん存在しています。そしてこの’大なり小なり’も、その子にしかわからないことです。
そしてどれぐらい本当のことを打ち明ける相手を持っているのでしょうか。

私はそのまま困っている人に成長しました。
本当に困ったことがたくさんあって、お世話になっている方に
それだったら変えていってほしい
気付いた人にしかわからないから
と言われてどうやって?と思いながらまず私が助かりたいよと思った記憶です。去年の終わりくらいの話です。自分にできる範囲で色んな場所へ出向いたりしましたが、私が見つけられなかったのは、
私のような人がいるなら、話してみたい
ここを切り抜けた人が仮にいるなら見てみたいと思ったその相手です。それがどの程度特殊なのか、程度の差は関係なく’困っている’人がどのくらいいるのか、わかりませんが、私は自分がものすごく困ったから、そういう人の力になりたいです。

私は障害者に当たりますが外に出たり働いても、あまり気付かれることはありませんでした。でも実際に家に帰るといつも滅茶苦茶で、
よくこれで行ってるなと、よく生きてるなとそれだけは自分で感心しました。取り繕うことも非常にうまくなり、色々な職場を転々とする中で、そういうことが一般社会でどういう扱いを受けるのか、段々と肌でわかるようになってきました。

正直に答えてはいけない。隠さなければいけない、ということです。私は’普通’の人と関わる機会を設けすぎたので、余計に劣等感がどんどん募っていったかもしれません。
病気は私のアイデンティティになっていました。

施設や病院にいると、悪いこともあるけど、守られている、みたいな独特の雰囲気があって、
私ずっと大人しくここにいれば、いいのかも、と実は何回も思いました。私はいつもギリギリで、自分の尊厳を保っていましたが、そのときのことを思うと今も打ちながら泣いてしまいそうです。私が今ここにいるということは、私は、それを最終的には、選ばなかったということになります

どのくらいの方がこれを読んでくれるかわかりませんが、ピンチはチャンスに変えるというよりも
ピンチがイコール、チャンスだったということを今日は書いて終わろうと思います。

私には色々な病名が付きましたが私は私だから悩み、考え、動いてきました。躁うつ病でもアスペルガーでもなく一人の人間として、私はこう思う、ということをここではたまに書いていけたらと思います。通じる人には通じると思っています。私が助けてもらった人の数は、一人や二人ではないから。私は、みんなが喜んでくれるようなことが個人的に好きなので、徐々に色々考えていきたいです。

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©midori kobayashi p rogrammed. ‐