このタイトルは、死にたくないという人にとってしっくり来ないだろう。
私も(きっと)その一人いや、誰もがかな
精神を病む人では、最もと言ってよく聞くのが"死にたい"という言葉で
死にたいについては長年考えて来たがなかなか答えが出る暇がない。
死にたいと望む人はこれほど多いのに、
実社会とのギャップの誰もが、目をそらす大きさよ。
そのエネルギーが生きることに向けられたら
どれほどの光りが世の中に、生まれるだろう
私は努力家のようだ
死にたい理由をいっこ、いっこ、
潰して行ったらもはや死にたい理由がなくなってしまったことがあるのは、すでに書いたっけ
まだだっけ
ここまでやる人もなかなかいない、と自分では思ったが未だ、"死にたさ"は消えてない。
何故死にたいんだろうか
考えたことがあるだろうか
私は前述のように、心当たりは全て、消してしまったから、
逆にどうしたら行きたいのかを途中から、考えはじめた。
そういう人もいることと思う
全部、自分の、思うようになったら生きたい
その答えはこうではないだろうか。
明日、世界のすべてが終わるとしたら、私はやっと生きたい__いまでも覚えている、数少ない友人への電話
何故、明日終わるのなら、やっと生きたいの?
そこには責任が無い
未来も無い
決まりが無い
なんにもない
それで生きたいのだったら、本当は、生きたいのではないの??
なんにもなくなることは本来は、死を意味する
死にたい、とは、=なんにもなくなりたいということでもある。
この苦しさから楽になって
未来の、不安から楽になって、
この痛みから、抜け出したくて
すべてを否定したくて、私たちは死にたい。
今が苦しくて
逃れたくて
そこに何があったら、私たちは生きたいのだろう。
それは死よりトクベツなもの
死を選ぶ人がこんなにも、多いなか赤ちゃんだった私たちは、べつに死にたくなんかなかったのに、
条件が揃えば、希死から逃れられるわけではないように
条件が揃えば、愛になるわけではないように
無条件の生を、いつか謳歌できる気がする、いまはね
決まりなんかないもの
どこにもなかった
最初から、最後まで誰も無かった
でもそれを認めれなくていいの
私のことは、私が全部、決めてよいのだから
○メンタル迷子の会 いつも開いております。
(*´ω`*)ゝ < ぜんぶりょうかい

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