8月8日
幸せだな私じつは、とか
ありがとうと思う、等は、
じわじわくるもので・・まず
超人になる必要はないということ?を書いてきてる気がしますが、
私はですが、いつも感謝してるわけでもなく
いつも幸せなわけでもない。
ありがとうは無理矢理言わされるものでもなく、
ありがとう、と思うときが来る(またはそういう時がある)
感謝は要求するものでも、されるものでもない
ということを、またお伝えしておこうと思います。強制されたものでは嬉しくないし、幸せじゃないですよね
無理矢理笑っても疲れがたまるわけなので
無理に笑うことも推奨していません、そういうときには
つい、笑っちゃった、
しまった感謝してしまった・・!
ぐらいも、遭えば充分と私は思います
幸せ感は、自分独自のものでいいので、自分のそういう瞬間を増やす、つまり
幸せの自分の土台を上げる努力(心がけ程度で、
それに追い詰められないように)していれば
自然と、周りの幸せを思ったりするようになる(とくにそれが良いでもない)という
自分自身がラクになる手段です。ありがとうも無理に言うことじゃなくて
思わず出てしまった’ありがとう’が、とびきりのあなたのありがとう、になる
触れ回るものでも、隠して回るものでもなく
噛みしめるような感じで、自分で思えるようになるとなんだかラクになる
それでいいと思います。
不幸なときには、私は不幸!と言うことは
私は悪いことではないと思うんですよね
私の記憶では、、私も、不幸だ、私は不幸なんだよ、、と誰かに言ったような記憶です
それでも感謝すべき、と言われたことがとてもあった気がしますが、
それでも私は不幸だから!私はそう思うの、いま、私は不幸なの!
と思った気がします(だいたい悪意があるわけではないので言う相手を選ぶことも弱音では重要)
自分に味方してあげないで、誰が代わってくれるのか。
自分のことを聞いてくれる人が(自分)一人ぐらい、いてもいいですよね
自分のことを聞く、っていうのが、意外にも難しくて、
つい殺されてしまうところなので、
私の実践しているコツをすこし書きたいと思います。
落ち込んでる時、わかりやすいと思いますが
落ち込むのは私(外)の勝手
そのとき、なにを、自分(中の人ですね)に押し付けてるでしょうか
体は実は、なんて言ってるのか
自分の形は、自分にしかないものなので、それを大事にして
変えるのは’私’じゃない。改めるのは自分のほう(考え)です、わかりにくいですかね・・
他の誰でもない自分を聞く練習です。
自分は自分だけの声を、オリジナルの声を発しています、なんて言ってるか、いつでもそれを聞くように
叱咤よりも、労をねぎらう感じがポイントです。
世間には全く合わせません。ということではなく
合わせるということは、本来、悪いことでもなく、
それが喜びになることもあるものだから、良い感じで自分がそこに、協賛できたらいいんじゃないかと、それが無理のないスタンスじゃないかなと思います
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