1月5日
すこし前まで、私は世の中の大半に近い人が、困っているんじゃないかと思っていました
なにもなく生きている人がきっと、それでも、いるんだろうと思って、少なく見積もってそれでも、たぶん6割ぐらいは(困っている人が)いる、くらいの感覚だったと思います。
自分基準が感覚になると思うので、カレーをたべて不味い、と思えば、だいたいの人が不味いんだろうと、そんな感じです
私よりすごく年下の子ですが、鬱が良くなっていって、
あれはなんだったんだろうと、私、別世界にいたのかな、っていうようなことを言われたことを思い出しました
ほかの人もそうやって良くなって行ったんでしょうか、私は、昔からあちらとこちらの存在を自覚していて、そのあいだを行き来してきたような気がします
私はいま、ひょっとして、世の中にそんなに、困っている人はいなくて、
1/10に満たないぐらいの人が、困ってるかもしれない、とすこし思っています
たった数カ月のあいだに、自分の基本的な部分っていうのは、きっとずっと変わらないけど、
様々に自分が目的のために、変わらないとやれなくて、
私の囚われは色々に外れていったんだと思います
私は何の病気なのかと訊かれて、答えられることはなくなっていきました
実際には色々な症名が付いたけど、私は自分が当事者で、苦悩したり、怒りを感じたり、
どの病名のときも同じ自分だったので、未だになんとなく人に対しても区別ができません
最初に書きましたが、病気は私のアイデンティティにまでなってしまっていて、自分の説明を仮に求められたら、
それを言わないわけにはいかなかったですが、今は言う必要もなく
ほかの障害の方を見ても、ただの人で
それは私が、ただの人になったからだと思います。
それは自分の中で革新的で、感動的で、すこしさみしいような感じもします
自分があんなにまで、困って、そしてそのときに選択肢がほとんどなくて、
これは大問題だと、思ったのも自分がすごく大変だったからです。
私は自分がいい人だね、とか優しいね!とか思われるためにやっているわけではないので
続けていることが大事だと思っていたのは、
必要な人がいると思っていたからです。でも今、
世の中に実際
困っている人は、いるんだろうか?
私はそれを聞いてみたくて、私のことをよく知っていて、私も信頼できる、福祉関係の方に尋ねてみたんですが、
その答えも、まだ出せそうにありません
続けて行って、必要な人がいないといいな、と思うくらいです
一般的なメルマガではダメかもわからないんですが、私は登録してくれてる方にも聞いてみたくて、
完全に私用だな・・と思いながらも、返してくれたお返事を読んでいて
私の目的をそういえば、言っていませんでした。このブログの趣旨は、通じていると思いますが、
それをその福祉の方とも話していて、私の中には、障害名の区別もないし、目的がよくわからないと
もともとは、困っている子のためにやりたかったことにはお金が要るというのと、もちろん子どもはお金持ってないので
そのほかに、お金をたくさんかけずに、取り組める問題は幾つかあって、でもやっぱり私は限定ができないから、
全体が良くなって欲しい、なんて言ったら一人の重みに対してやっぱり間違ってるよね
と私が言って、自分の過去を振り返ると、人ひとりの人生の重さはそれが変わるってことは、どれぐらいすごいことかとやっぱり思う
「動かんもんなかなか人の気持ちは。」と私は言って、
「ジョンレノンがイマジン歌っても戦争は終わらないだに。」と返ってきましたという
社会には何の恩義も感じていませんでしたが、
秘密基地にふさわしい場所でありたいと思います
私にあなたは重要人物だよ!私のほうが、ありがとう。
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