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できないことと、できること 7月16日

突然の普通のブログを書きますが、
まあ、全部を書くことはもう、無理だと思うので
私はいま、抜けよう’としているところ’を、それが書けたら、絶対に役立つ人がいる、という確信はあるものの、
みなさんと同じように、生活もしなくちゃで、
色々あって、それをわかるように、伝えるということがもうずっと思っていることですけどわりと離れわざなので

自分にできることを続けて行きたいと思っています(もちろん休む気はあります)
一部でも今日は、障害について書こうと思います。

障害者ってなんですか?
という質問をいただいたことがありましたがこれも、難しい質問で、
たとえばですが、'摂食障害'っていうのがあるのですが

それを過ぎた人として、公平に、言ったとして
摂食障害というのはなった本人か、家族にしかわからない。と断言できる、だからこそ阻止されなければいけない(感覚的には)’重病’と思います。
もちろん、その大変さを想像することが無駄だというわけではなくて、

そんなの大したことないとか、どうってことないのか、あるのかを
そういうようなことは、そもそも誰にも言えないことですよね
一番最初に書いた気がしますが、大なり小なりって大なのか、小なのか、その人にしかわからないことで、比べることも、基準もないんですよ。
そういうことを言っているとまわりまわって結果、自分の首をしめることにもなる

それで摂食障害ですが、それが’障害者’に入るのか?ですが、
ザっと調べてみると、やはり入らないようです。
でこの基準ですが、決めているのは国とかそういうことになる

社会には色んな’決まり’があります。

できないことがある(=病気でできなくなってる)が、
でもできることもある(病気関係なく、=本人の資質、性格など)。この区別をハッキリさせないと、家族間でも、もめるのは、だいたいこういうところなのかな・・と思います。
精神病の難しいところですが’症状’と、’本人の’人格が結びつけられちゃったり
なんでもかんでも混同されてしまって、それは怠けてるだけだ、とされてしまったりする

カウンセラーでも医者でもそうですが、本人や家族はそこに第三者的で、知識のある、確かな意見を求めるわけで
「先生がそう言ってたでしょ!」みたいになると、(すでに頑張ってる&薬も真面目に飲んでる)本人は立つ手もなくなってしまい
納得できない、、あの医者に力がないだけだ、できませんと自ら言ってるようなもんだ、、
と思うようになったりならなかったりです。←医師によります

話がそれましたが、
①できるのか、できないのか(抗えない症状か)
②(それを取っても)できるのか、できないのか

いやできないところは普通にできない。これが、その人その人によるところであり、
向き合うべき部分
で、いまの基準で言うところの’障害’(覆らない)になるかな、と思います。
みんなが(周囲が)自分(の思う)型にハメようとして
自分も、ハマろうとして、
できないことを頑張り続ければ誰でも病気(悪化)にはなるだろうと

変えられないもの(他人の評価や社会の枠組み)を変えるよりも、
自分が自由になったほうが早い。というのがいまの、私の感想ですが
私のページに来てくれる人には、ぜひそうなってもらいたいという気持ちを込めて、ブログも続けて行きたいとおもっています

私のような信念(執念?)をもっても、
気持ちがあっても、一人ではできないことっていっぱいあって
自分にできること、いま、その方法を、変わらず探りながらの内容になります。
思ってること全部できないと言って、ゼロになるよりはマシかと思っているので、
相変わらず続けていくつもりです。できるとこまでは。応援してくれる人は、してくださると幸いです

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