ブログ 調子が悪い時

なかなか実現しないこと、見えているものを、形にする

10月31日(土)
人生にはなにもない。意味なんてもともとない。
いまなにかを書き出そうとして、文を書くのにも体力が要るなあと思う
頭の中に浮かんでは消える言葉が憎たらしい。

私は幼い頃から、他人に自分の思いが伝わらないことがはがゆかった
ボタン一つで、寸分もたがわずすべてが、一ミリも狂いなく伝わる機械があったら、とそのときも思っていた気がする
いまもそれは不可能で、
すべてを、一ミリの誤解も誤読もなく、人に伝えたかった私が、いまもよくこの活動を続けていると思う
この文章自体も、私の一部で
もしかしたら一万分の一くらいかも知れなくて

誤って伝わるぐらいなら、なにも言わないほうがマシだと思っていた私は、ずっとその戦いもしてるのかも知れない

自分の通りに、伝わった場合には、
私は納得しているから、それが間違いでも失敗でも、人から嫌われても、私の中では問題ない
私は'自分でいること'へのこだわりがつよいと思う

その'自分'は変わることもある
ずーっと寝たきりで、昨夜のLINEカルティエの野田洋次郎のライブだかも逃して、お風呂も入れずにずっと、かゆくて今日の映画チームの撮影もいけなくて
部屋は毛だらけでベッド脇にしゃがんで足が痺れながら、書いてる

上着を羽織って無印の一人がけのソファーにかけた。

しょせんどれだけ書いても、自分の一部だ。このブログもアクセスはすくなくて読む人はほんの僅か
トラブルに遭ったり、人と関わったり
'ずっと自分で'活動を進めるのは本当に、難しい。

アメブロでも、ツイッターでも
Instagramでも、インスタはすくないかな、
たまに自分でないことを書いた気がする
でもこうして書くと少ない気がするが

変わるのは良いんだけど、その時の、自分であるか。

私のような微細も気にする人が、
このようなインターネットを使った大々的な活動をすることはものすごいストレスで、トラブルなんか無くても、無理があると何度も思った

やめようかなとたぶんたまに思って、いまもひどい状態で、書き始めて
やっぱり理想が捨てれないのとどんなに苦労しても、
ここまでやって、人生にはなにもないと思う

やめようかなと思うときいつもそう思う、それで世界はどうなるんだろう
病気があるからとても普通ではないが暮らして、困らない程度に働いて、自分の生活だけをすすめて
いつか結婚するかも知れないし、子どもは産まないかも知れないけど、

その日々は、充分にかけがえのないものだと思うが、もっと良い世界があったんじゃないかと思う

私はなぜそれをやらなかったんだろう

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