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ゼロからの話

1月17日

私は一人が怖いと思っていました。
でも今、全く違う感情を持っています。

ほんとは書こうとしていたことがあったんですが、やめて、
今日はこれを書いています、たぶん、このブログに来てくれる人に、役に立ちそうだったから

一人じゃないよ、というのと
いや人は一人だ、っていう人と、両方出回りますよね。
私はどっちなんだろうと思っていました。答えは出たような、また遠くなっちゃったり、色々でした

今日、すごく久しぶりに、前にも記事に登場した福祉団体の若い女の子に仕事が終わってから、すこしだけ会いました
もし、●●さんだったら、私と全く、年齢も、環境も、全く同じ条件で、今、
気持ちだけ自分と入れ替わったとしたら、どういう風に思う?って最後に私が聞いた件で

私はどうして怖くないんだろうってじつは暫く思っていました。
ここで言う怖いっていうのは未来のことです。未来への不安です。
不安に押し潰されそうになったことは過去にいっぱい、ありました

普通の人はどうなの?みんなはどうなの?
一般的にはどうなの?
これは、私の昔からの質問で、
みんなのことが気になるんですよね
自分がおかしいんじゃないかと思って、正そうとして、
やっぱり一人だけ違うのは色々、嫌だから
私はいつも人混みに紛れ込みたかった、自分だけ浮くのは嫌だし
同化したかった。そうすれば安心だし

私は安心したい欲がすごく強くて、これは、育った環境かもしれませんが、
でも自分の欲しい安心は、人と一緒にいても手に入らなかったんです。これを言葉に起こすのはすごく難しいんですが、私はそれに気が付いていました。
一瞬手に入ったように見える安心が、いつ脅かされるかわからなくて、常に安定しない安心です。
その安心は本物ではないんじゃないか?
目に見えるものや、形にこだわった安心は、私の欲しい安心ではない
というかそれを手にする準備が自分は、できてない
だから走っても走っても同じことの繰り返しになる。
私がずっと、感覚的に感じていたのはそれでした

やっぱり見て見ぬフリはできないもので
丁度、この生活を始めたころに親しい人に、メールをしたことがありますが、私の覚えている限りでは、
みんなにそっぽを向かれて、誰にも相手にしてもらえなくなったとしても、私はこう!と思ったことをやっぱり曲げれない。
という内容だったと思います。どうしても曲げれない、と思って、泣きながらメールを送った
ものすごい恐怖心で、気持ちはほぼ、一人ぼっちだったんじゃないかと思います。私はほんとに一人になってしまうかもしれない。
でも自分を裏切ることができませんでした

私はhomeが必要だと書きました。
その考えは今も変わっていません。

ただhomeに行くまでには、やっぱり一人なんですよね
homeということの大事さはもう言うまでもないけど、homeがあって、でも一人なんですよ

私の言ってるhomeって、人であり、場所なんだけど、自分なんですよね

だから、そう思えるということ、
そういう場所があること、人がいるということ、というのには、どうしても’自分’の協力が必要になります。

ゼロ地点からではキツイと前に書きましたが、見つけて行くhomeまでの話で、
私は確実にゼロからだったので、逆に言うなら、失うものがなにもありませんでした
今日話していて思ったのは、私の未来の怖くなさは、そもそもがゼロだからかもしれないとも思います
それならこのブログに来る人にはやっぱり有利かなと思う
最初からhomeがなくても、自分で築いたhomeはすごくちょっとずつなので、一個一個がしっかりしていて、崩れにくく、確かです。
守るものができればそれはそれで、べつの温かみが増えていくしね

それはきっと、並大抵ではないのでしょうが、
どんな結果になっても、自分の出した勇気は必ず、自分に返ってきます。
私も引き続き勇気を出し、もらいながら、微々たる応援をおくって行きたいと思います

 

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