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左足を信頼する。10月29日

私は去年あたりから、色々不具合が出てきて身体も色々負傷中です。
死にたいと思い始めたのは小学二年で結構早かったのですが、その時分からずっっと体は私に伝言しようとしているのか、本当に今もこれだけわかりやすく身体は私に訴えている気がします。鬱とか精神的なことじゃなく、ほんとに体が動けなくなったことがありました。

この件についても、ヨガをしてみたり整体へ行ってみたり、整形外科ももちろん、色々やってみて、
良かったこともありながらそれを足しながら、

今一つたどり着けないのは、自分に、しっくりくる納得のやり方が無い。やっぱり世の中の正解よりも、自分の感じ、たどり着いたことが最終的に正解なんだということ、そして私が、そう思う人なんだと思います。

私は子どものころから不整脈があって、お医者さんに言われて、ときどき授業中に脈を自分で取っていたのをまたからかわれたりしていましたが、高校になると心臓を鎖でジャリジャリやられるような痛みが度々訪れるぐらいになっていました。それでも検査はしても、やっぱり何も出てこなかった。
保健の先生はいつも優しく、走ってきたの?廊下、と尋ねてくれましたがいえ、歩いてきました。と私は本当のことを言う。ランナーが目安にする、これ以上に上げてはいけない心拍がありますが、私はいつも、全速力で走ってるくらいに息が上がって暮らしている、そういう子どもでした。緊張して暮らす癖が、今も抜けません。

試行錯誤で、そこからまた考えたり、付け加えながら、
なんとなく頭ではわかっていることは、今はすごく痛む左足をもっと信頼して使う、というようなことです。

おっかなびっくり使っているので腰には力が入ってないし、頭で考え過ぎて、ロボットのようにカクカクして不自然に止まってしまうこともある。そうではなくてできるなら何事も無かったように、軸を持って、落ち着いて、
それを意識せず、ただラクに歩くことです。一般的で言う正しい姿勢とも違います。やろうとして、これが非常に私には難しい。

身体関連の専門に行ってた子に、感覚つかめばいける!と言われて私はそうかも、と思った。りんりんの体の感覚は、りんりんにしか感じられないものだからね。

無理に背筋伸ばしたりしなくてもリラックスできたら自然と楽な位置におさまるというか、これは説明できんな・・。ってそれだ私の思ってること。
私の左半身はだいぶ、もうやられていますが
大事にしながらも信頼して、無理なく、自由にしてやりたい

それが本当にできるころには、トラブルがなくなると思う。私の予想です。私にしかわからない、私だけの、私の、
正しい使い方です。

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©midori kobayashi p rogrammed. ‐